From:長谷
俺は少し緊張していた。
数年に渡るプロジェクトが受注の一歩手前という状況で、恐らく最後のプレゼンになるであろう面談をしに名城線に乗り金山総合駅に向かっていた。
地下鉄の窓は換気の為に五分の一程開けられており、強烈な空調と生暖かい風が混じり合い、夏休みのせいか子供連れが多く乗っていた。
待ち合わせは午前十一時。場所は金山総合駅のスターバックスだった。そのプロジェクトは担当者ベースでは話がほぼ決まっており、あとは客先の上司の決裁を貰うだけだった。
その上司とはまだ会った事がなかった。忙しい方のようで、訪問した時には帰り際に挨拶させて欲しいと頼むのだが、いつも出張か何かで不在だった。
起業して十年目の夏だった。
このプロジェクトに弊社の製品が採用されれば、今後五年は安泰だった。それくらいの大きな商談は初めてだった。
同級生と二人で会社をはじめ、何もかも順調というワケでは無かった。むしろ困難の多いスタートだった。
会社の通帳の残高が二千円を切った時もあり、バイトでもしようかと真剣に悩んだ時期もあった。
それでもそれなりに軌道に乗り、社員も増えた。社員が増えれば新たな悩みの種が増える。
俺はそんな責任感を感じながら改札を通り抜け、太陽を反射するアスファルトの上に立った。
金山に来たのは何時ぶりだろう。
金山総合駅は名古屋で三番目に乗り入れの多い駅だ。
一番は名古屋駅、そして次点で栄駅。金山駅の特徴はその雑然さだ。
綺麗にビルが立ち並ぶオフィス街でも無く、一歩裏道へ出れば怪しいキャバクラや個室ビデオ、立ち飲み屋が昼から店を開けている、そんな駅だ。
駅中央のロータリーでのバンド演奏や弾き語りはいつもの光景だが、今日も誰かが何かを演奏して大きな声で叫んでいる。
俺は腕時計を見る。十時四十分。少し早かったか。
目の前で演奏の準備が始まるのを何となく俺は見ていた。そのバンドが全員俺と同じような中年だったからだ。
おっさん達はギターのチューニングを手早く終え、スピーカーの調子を気にしていた。キーボードは座り、ベースはビールに口をつけている。
ドラムのワン・トゥ・スリーのカウントともに演奏が始まった。
aikoの「ボーイフレンド」だ。
印象的なイントロを完璧に演奏するおっさん達。ドラムは金髪・長髪で胸のあたりに「カリフォルニア」と印字したタンクトップを着ている。ベースは長身細身で眼鏡をかけている。キーボードは大きく腹の出た坊主だ。
そしてギターは頭頂部が完全に禿げ、側頭部が極端に長く伸びている異様な形相でフライングVをかき鳴らしている。
早く逢って言いたい あなたとの色んな事
俺はギターのおっさんが原キーで歌うのに衝撃を受けながら目を離す事ができなくなっていた。
人がどんどん集まっていた。その異様なビジュアルと完璧な演奏、そして何よりもギターボーカルの熱い気持ちがこの金山駅ロータリーにいる全員に届いていた。バンドの演奏はBメロに突入し、爆発的なサビ前のフィルをドラムが叩き終える。
はああああ~~~~ テトラポットのぼってえええええ
気づいたら俺は泣いていた。この十年で失った全ての物事に感謝した。自分が許された気がした。そして演奏が終わる。
俺は静かにギター・ボーカルに近づき、一礼をして名刺を差し出した。
時間は午前十一時ジャストだった。
完